村社 加茂神社

1.加茂神社へ

地域のお社 加茂神社  加茂郷駅周辺の地図を開き、やはり一番に目を引くのは『加茂神社』だろう。
加茂神社は、JR加茂郷駅より北東へ1.1kmほど離れた山の中腹にある地域のお社である。
さほど遠くはない。加茂神社に向かってみることにしよう。
駅の改札口を出ると下津町加茂郷地区の市街地に出会う。
地銀(紀陽銀行)や信用金庫、郵便局が並んでおり、駅を中心に広がっている。
東西に延びた県道沿いに、商店が軒を連ねており、ここは加茂郷商店街である。
商店街は、金融機関のほかに、昔ながらの八百屋、魚屋、精肉店に、理容店、金山寺味噌店を見る。
どこか懐かしく感じるクリーニング屋など、古き良き昭和の町並みが残っている。
現在は、チェーン展開するスーパーマーケットや郊外型商業施設の参入。
少子高齢化や、若者の人口流出が相まって、加茂郷商店街の活気は薄い。
最盛期は、商店街祭りを催すために車を通行止めにして、歩行者天国としたり、
昭和の頃の駅や商店は、もっと人で賑わっていたようだ。
駅から、県道166号線沿いを北東に向かって進む。
やがて商店街から離れ、加茂川を左手に見る。
川を流れる水量は多くないが、橋脚部分に台風や大雨の際に役立つ水位観測板がある。
右手に中学校を確認して、山手に向かいながら細い道を選ぶ。
車一台がやっと通れるほどの路地を、数分進むと加茂神社参道が山手に見えてくる。

<<加茂神社参道>>

神社に続く階段の先は、木々のトンネルではっきり見えない。
まるで山が口を開いて、入山者を飲み込もうとしているような雰囲気だ。
付近を見渡せば、近くに石製反橋が残っている。
反橋に目を向けると、電車の高架下で窮屈になって、申し訳なさそうな感じに架かっている。
周囲を見渡してもそれと言って確認することはできない。
遺構としては、反橋ぐらいしか伺える物はなさそうだ。
紀伊国名所図会【後編 巻之二】では、『梅田釈迦堂、加茂神社、糺の森』と名する絵図があり、下村と小南村、梅田村※1の
遠景を図示しているようだ。
反橋に着目して名所図会を参考にし、比定される場所を見ると、四角い板状のものを渡しているように描かれている。
これが反橋であったのか、はたまた古くは板橋であったのかは記載がない。※2
また、山の中腹に加茂神社と鳥居が見えることから、ここが参道入り口に相違ないだろう。

<<石製反橋1>>

<<石製反橋2>>

<<石製反橋3>>

 名所図会から、さらに様子を窺い知ることができる。
山麓から南方に二つ目の鳥居が図示されているが、この鳥居は現存する。
国道の車中からも見ることができ、助手席側小南方面を眺めていると、畑の中に石製の鳥居が見える。
続いてそのまま南を指せば『糺の森』が描かれている。
糺の森や、梅田村周辺は水田が広がっており、あぜ道を行き来する村人たちの姿や、牛か馬の背に荷を負わせ、
それを引っ張る人も描写されている。
梅田村の釈迦堂のあたりに集落が確認できるが、加茂神社と糺の森の周辺には農村や家屋は描かれていない。
また、糺の森と呼ばれる藪の中には、千木を象った切妻屋根の家屋が見えるが、紀伊続風土記に言う糺社(糺神社)と思われる。
この神社の存在は確認していないが、追って現地調査を行いたい。
 話を戻し、山麓の加茂神社参道に返す。
参道入り口を仰ぎ、急な坂道を想像させるが何てことはない。足を進めよう。
少し歩けば、木々の間にうっすらと、鳥居の一部が顔をのぞかせる。

<<参道向こうの鳥居>>

コンクリート製の階段は数にして198段あるが、上へ登るにつれて心地よい風が通り抜け、
あっという間に鳥居近くまで進めることができた。
振り返ると、下地区と小南地区を見渡すことができ、国道42号や、並走するJRきのくに線の往来も見れる。
また、和歌山らしくミカン畑も広がっているのを見つつ、参道を上るにつれて心が躍ってくる。
階段を登り切ると、アスファルトの道路に出会う。
自動車で加茂神社に訪れる場合は、国道42号線からこの道を選べば、案内板も出ているため迷うことは無いだろう。
道を挟んで目の前が加茂神社である。
名所図会に記載されている鳥居に同じ。一礼して境内へ入る。

<<境内入り口>>

<<二の鳥居>>

※1.下村:海南市下津町下。梅田村:海南市下津町梅田。小南村:海南市下津町小南。
※2.紀伊続風土記【巻之二十四 海部郡第四 仁義荘】の下村の項にて、『御手洗橋』の字句を見る。