紀伊加茂谷 研究 - kii kamotani -
紀伊加茂谷・・・
和歌山県北部に位置し、海南市南部の東西に延びた地区の総名として、古くに呼ばれていた地名である。
加茂谷地区は字の如く、そのほとんどは山間部に囲まれ、平地は全体の12%程度で、北側には藤白山脈が構え、
南部は長峰山脈が横たわっている。
平成の大合併※以前は下津町と呼ばれており、およそ加茂谷もこの町域に値していた。
ここでは謎も多い加茂谷を解き明かす研究に出かけていきたいと思う。
とは言え、私は学術に身を置く立場でもないので、まずは先人の貴重な資料や考察を踏まえ、先行研究に着手したい。
また加茂谷を通して下津町の文化や風土、景観などにも触れていき、地域の活性にも繋げられたらと願っている。
紀伊加茂谷を話す上で、旧下津町で表す方が手っ取り早く、旧海南市と現海南市が困惑してもいけないので、
本編においては旧下津町を下津町、旧海南市を海南市と記すので注意していただきたい。
また加茂谷と言う地名、地区については、全国にも類似した名称や同名地もあるため、紀伊加茂谷と称すことにしたが、
比較して列記するなどがない限りは、加茂谷と記載したい。
※平成17年4月に旧海南市と下津町が新設合併(市章は新たに用意されたが、海南の名が残った)し、現在は海南市下津町●●(字)となる。
加茂谷地区は字の如く、そのほとんどは山間部に囲まれ、平地は全体の12%程度で、北側には藤白山脈が構え、
南部は長峰山脈が横たわっている。
平成の大合併※以前は下津町と呼ばれており、およそ加茂谷もこの町域に値していた。
ここでは謎も多い加茂谷を解き明かす研究に出かけていきたいと思う。
とは言え、私は学術に身を置く立場でもないので、まずは先人の貴重な資料や考察を踏まえ、先行研究に着手したい。
また加茂谷を通して下津町の文化や風土、景観などにも触れていき、地域の活性にも繋げられたらと願っている。
紀伊加茂谷を話す上で、旧下津町で表す方が手っ取り早く、旧海南市と現海南市が困惑してもいけないので、
本編においては旧下津町を下津町、旧海南市を海南市と記すので注意していただきたい。
また加茂谷と言う地名、地区については、全国にも類似した名称や同名地もあるため、紀伊加茂谷と称すことにしたが、
比較して列記するなどがない限りは、加茂谷と記載したい。
※平成17年4月に旧海南市と下津町が新設合併(市章は新たに用意されたが、海南の名が残った)し、現在は海南市下津町●●(字)となる。
JRきのくに線 加茂郷駅
和歌山県のとある駅、加茂郷。
きのくに線と呼ばれる和歌山県沿岸部を縦貫して掛けて行く、JR紀勢本線に属する田舎駅である。
朝夕の学生やサラリーマンの通勤・通学の駅として賑わうが、休みや平日の昼間となれば静かで仄々とした駅舎が佇んでいる。 加茂郷駅は旧下津町内の中心に近く、駅のすぐ前には商店街に出逢い、旧役場であった下津行政局も程近い。 しかし地図を広げて見れば、加茂郷と呼ばれる物はなく、町の中心を流れる加茂川や加茂神社ぐらいしか その由来を伺え知れるものはない。 加茂郷と言う駅名から始まる名前探しの旅が始まった。
きのくに線と呼ばれる和歌山県沿岸部を縦貫して掛けて行く、JR紀勢本線に属する田舎駅である。
朝夕の学生やサラリーマンの通勤・通学の駅として賑わうが、休みや平日の昼間となれば静かで仄々とした駅舎が佇んでいる。 加茂郷駅は旧下津町内の中心に近く、駅のすぐ前には商店街に出逢い、旧役場であった下津行政局も程近い。 しかし地図を広げて見れば、加茂郷と呼ばれる物はなく、町の中心を流れる加茂川や加茂神社ぐらいしか その由来を伺え知れるものはない。 加茂郷と言う駅名から始まる名前探しの旅が始まった。
加茂谷地誌研究 - Kamotani Regional Geography -
- はじめに。
- 序章.加茂谷の旅に出発
- 第二章.加茂谷のあけぼの
コラム- The column of Kii Kamotani. -
参考資料・文献
- 下津町教育委員会(現海南市教育委員会) 編『下津町史 通史編』.下津町.1976
- 下津町教育委員会(現海南市教育委員会) 編『下津町史 年表』.下津町.1977
- 高市志友 他. 『紀伊国名所図会』.1751-1823.東洋書院刊(紀伊名所図会)
- 仁井田好古 他. 『紀伊続風土記」.1806-1839
- 鹿持雅澄. 『萬葉集古義』.1827-1842
- 契沖. 『万葉代匠記』.